The show must go on













「俺を覚えているか?」

どす黒い顔の男は私に問いかけた。

ライトブラウンの長髪。無精ひげ。
覚えている。

「………リグディ。」

生きていたのか。

「……久し振りだな。」
「シ骸にされてしまったと思っていた。」

膿み疲れた顔をしている。
皆々が故郷を失ってそれも珍しくもないことだが、わざわざ人の家まで来てその面を見せられるのは鬱陶しい。

「そう……そうなるはずだった。」
「どういうことだ。」

騎兵隊は、あのとき私達より先にファルシ・オーファンの所へ向かっていた。
しかしオーファンやバルトアンデルスの本命は私達の方で、騎兵隊は下界のルシを釣る為の餌。

しかも獲物を釣り上げた後は、まるで処分するかのように肉体を変化させられた。
何の意味も無いのに。

いや、私達の心の中にある憎悪や絶望を膨らませるためだったか。
確かに怒りは増幅されたが、絶望はしなかった。
やはり意味はなかったのだ。

「俺たちが行くはずだったんだ。あいつらの元へ………。けど変な女に邪魔されて……。」
「変な女?」
「ああ、恐ろしく強かった。たった一人に総勢でかかっても全く歯が立たない。ありゃあ人間じゃない。人間とは思えなかった。」
「そいつはもしかして――。」
「ああ、言いたい事はわかる。ファルシじゃないかってんだろ?だが、機械ともファルシとも違う感じだった。俺の知っている限りのルシとも異質な強さだ。」

声に覇気がない。
それに酒臭いな。

「元騎兵隊と思われるシ骸達に遭遇したが。」
「そいつは保険に打っておいた別働隊だ。」

なるほどな。

「腕の立つやつばかりだったんだ。なのに……。」

悔しいのはわかる。
わかり過ぎるほどわかるが、さりとてかける言葉は無い。

「なあ……、お前はこの世界に満足しているか?」
「なんだ、いきなり。」

話に脈絡が無い。完全に酔っているな。
こんな世間とかけ離れた、はずれもはずれの家にやってきて酒の愚痴とは迷惑な。

「俺はな……、うぇっっぷ。」
「おい、何しに来たんだ。迷惑だ。帰れ。」

飲酒運転だろうがなんだろうがこんなところまで取り締まりに来る者はいないし、酔ってふらふら飛んでいればそこらの魔物に叩き落されるのが関の山だろう。
ここに来るまでにそうならなかったのは幸運だが、帰りもそうとは限らない。

「お前は……、お前は…満足なのかよ……。」
「なんなんだ。あんたこそ不満で仕方ないのか。」

濁った目で私を見るな。不快だ。

「不……満だよ。そーだろーがよ、俺はな、俺達はコクーンをファルシから解放しようとしてたんだ。」

そんなことは知っている。

「それがよ……、コクーンを潰してどうするよ。」
「私達だってそんなつもりじゃなかった。だが……結果は結果だ。どうにもならない。」

守るつもりだった。
誰も彼も何もかもみんな、守りたかった。

しかし私達の手はあまりにも小さく、大切なもの達はするすると零れ落ちていってしまった。

「受け入れてるのか。」

気に障ったようだ。
すわった目で私を睨み、ゆらりと近づいてきた。

「受け入れられたのか、お前は。」

近い。
もう目の前だ。
呼気にアルコールが混じった匂いが気持ち悪い。

「受け入れたのか。……この腹もそうなのか?女だからか?」

腕を強い力で掴まれた。
男の力だ。大人の。
酔っているから力加減も何も無い。

「いっ……。」
「女はなんでもあっさり受け入れる。」

油断していた。
以前の私ならこれくらい振り払うなり、いなすなり出来たはずだ。
だが、今の私は妊娠という弱体状態であるということを失念していた。
魔物とは常に距離をとることを心掛けていたのに。

「あの坊やを毎晩抱いて寝ているのか。若い男を可愛がるのは楽しいか?」
「あんたには関係ないだろうっ………。」

成り行きでずるずるきてしまっただけだ。
だが、この男に何か言われる筋合いは無い。

「俺も抱けよ。」
「なっ……。」
「俺を抱けよ。俺を慰めろ。」
「知るか!娼婦のところにでも行け!」

この酔っ払いが。
しかし酔ってはいても、男の太い腕が私を掴んで離さない。

酔った人間の体は重い。
死体が重いのに似ている。
生きた人間を体術で投げられるものはいても、死体を投げ飛ばせる者はそうはいない。

まして今の私では。

「あいつ………、俺が撃ったんだ。」
「あん?」

何の話だ。
酔っ払いはこれだから。

「シド………。」
「シド?ああ、レインズか。」

「俺が撃った……。俺が………。」

詳しいことは知らないが、バルトアンデルスに無理やり復活させられたレインズに止めを刺したのはこの男なのか。
親しいものに自ら手を下すのはそれは辛いだろうが……。

「それ以前に私達が倒していた。」
「………………。」
「一度死んだ人間だ。復活するほうがおかしいんだ。」
「撃たなければよかった………。」

それは、その結果がどうなっていたのかはわからない。
レインズの二度目の【生】がどういったものなのかが解らないからだ。

「そうすればあいつは生きてて……、俺なんかが生き残ってるよりそのほうが………。」
「じゃあ死ね。」
「あ?」
「自分が生きていることに不満なんだろう?この世界も気に入らないんだろう?じゃあ死んだらどうだ。」
「てめぇ……。」
「ちょうどいい、あの崖から飛び降りろ。頭からだぞ。死体はそこのベヒーモスが片付けてくれるだろう。」
「………ケダモノに人間の味を覚えさせんなよ。」
「そうしたらあいつを始末してまた別のベヒーモスを入れるさ。知らないのか?この平原はな、命のサイクルが短いんだ。生まれては散り、散っては生まれてくる。何かを殺しても、また別の何かが湧いてくる。そういう場所だ。」

今更泣き言を聞かされてもイライラするだけだ。
犠牲になった者達のことを考えたら、命があるだけでありがたいと思わねばならない。

「もうすっかりここの女王か。たかが元ルシの小娘が、生命豊かな平原を勝手に我が物にしてるって物議をかもしてるぞ。」
「なんだって?」

そんなつもりはない。ここは誰のものでもない。強いて言えばタイタンのものだ。
いったい誰がそんなことを。

「どこでそんな話になってるんだ。」
「生意気なのは確かだよな。」
「質問に答えろ。この酔っ払―――いっっ!」

腕を強く引かれて腰に手を回された。´
妊婦相手にやりにくいだろうに。
腹がぶつかる。

「おう、その生意気な口を塞いでや―――。」
「その手を離してください!でないと撃ちます!」

ホープ。
私のライフルを構えている。

「おおっ!ガキのクセにいっちょまえだな。自分の女に手を出されて必死かぁ?」
「その人から離れてください。」
「たいした距離でもねーのにライフルなんか持ち出すんじゃねーよ。」

あれは私がいつも使っているものだ。おそらく玄関に立てかけてあったからとっさに持ち出したのだろう。
ホープは無言で構えている。
警告を繰り返すよりずっと迫力がある。

「それじゃぁ、女に当たるぞ、いいのか?」
「これでも腕には自信がありますよ。それよりあなたの頭がはじけて血の雨が降ったら、汚れたといって怒られるかもしれませんね。」
「さっすが元ルシ、ガキでも人殺しにためらいねぇか。」
「そうですよ、沢山殺した。だからあと何人殺しても同じです。」

ホープ。
時が人を変えるのは仕方ないことだが、昔はあんなに儚げな子供だったのに。

昔?
いやまだ一年も経っていない。

「はっ!んなこと言って―――。」

発砲音は容赦なかった。
目の前の男が倒れこんできて、私は当然のごとくそれを避けて身を翻す。
男はそのまま地面に激突した。しかし、血が飛び散ったりなどはしていない。

「うっ………つ……。」

意識もあるらしい。
邪魔な腹にため息をつきながらしゃがんで体を調べると、頭頂から後頭部にかかるあたりの皮膚が火傷したようになっていた。
弾丸が掠めたのだ。

恐るべき腕前、なのだろうか。
これを狙ってやったとしたら物凄いことだが、相手は酔っ払いのこと、動きは読めないし当たってしまってもいいと思ってたのかもしれない。
いや、ホープはこの男が酒に酔っていることなど知らない。

あるいは当てるつもりだったのか。
明確に殺意を持っていたのかもしれない。

「大丈夫ですか?」

いともあっさり撃鉄を引いた少年は、何の感慨も無いといった風にしれっと声をかけてきた。
男ではなく私に。
撃たれた男はまだ地面に寝転がって呻いている。

「くっそ……お前ら………。」
「もう帰れ。何しに来たか知らないが本当に迷惑だ。」
「…………。」

男はふらふらと立ち上がった。
こんな状態で無事に帰れるかどうか甚だあやしいが、ひとの家に来て騒ぎを起こしておいて泊めてもらおうとか送ってもらおうなどとは考えていまい。

「……………土産があるんだ。」
「はぁ?」

私とホープは同じような声を出しながら、お互いの顔を見合わせた。
酔っ払いの話に脈絡や整合性を求めても空しいだけだ。

その酔っ払いは覚束ない足取りで自分が乗ってきたエアバイクに向かい、何かを取り出してきた。
手に持っているのは金属の枠と笠のついたガラスケース。
その中では何かが赤々と光っている。

「それは………。」

炎のクリスタル。
ビルジ湖周辺の何もかもがが結晶化したとき、これだけがやはり明々と周りを照らしていたが、熱を持たないその光はあたりの光景をより一層寒々としたものに変えていた。

「最近はな……、そういう特に生活に必要じゃぁないモンもコクーンから降ろし始めたんだ。」

光を見つめながらも暗い瞳は変わらない。
悲しいのか。
親しいものを失って、いまも立ち直れないほど。

ぐい、と突き出されたそれをホープが腕を伸ばして受け取る。
彼もまた悲しげな顔つきで、ふと以前の普通の少年だった頃を思い出した。

「そこらに放り投げておくなよ。いつかまた………、本物の火に戻るかもしれないからな。」
「わかった。」

礼を言ったものかどうか判断しかねたが、意外にもホープが素直にありがとうと告げた。

いつか本当に元に戻る日が来るのか。
そうだとしてもあの二人が戻るかはわからない。
このクリスタルとは、成った時期も理由も違う。

酔った男はそのまま黙ったきり、ふらふらと飛び去っていった。

「セキュリティ、反応しなかったようですね。」
「え?ああ、ここは警備軍のものだったからな。認証コードだか解除コードだかを持っているんだろう。」
「いまは個人で使ってるんですから、設定を変えましょう。」
「そうだな。」

しっかりしている。
それにこの落ち着き。
成長したな。

私はふと、かつての彼の初々しい少年期をもっと楽しんでおかなかったことを、少し惜しいと思った。