「あ、ごめんなさい、ぼーっとしちゃって。」

セラさんは暫ししてから我に帰った。

「……野菜用意してたけど2人になったんじゃ足りないかな?ちょっと待っててくれる?採ってくるから。」
「あ、じゃあ僕も一緒に行きます。」

セラさん……何を考え込んでいたんだろう。
考え込むような事案をもたらしたのは僕だけど、具体的にどんな事だったのか気になる。凄く気になる。

やっぱりエロガキとかマセガキとか?
これじゃ頼りないにも程があるとか?
それともライトさんに対して、こんな子供に手を出してとか?

どれも返す言葉が無い。
黙っていられるよりハッキリ言われた方がずっと楽だ。
そう思ってはいても、すぐそこだという畑までの道中、何も聞くことは出来なかった。



「あれ……、建物…なんですね。外に畑を作ってるのを想像してました。」
「この土地に土を入れるのは簡単な話じゃないの。やってはいるけど…、大規模にはまだ無理ね。」

セラさんはここを管理しているらしき人に話をして、僕を見学のために中に入れてくれるよう頼んでくれた。
ただ採りに行くだけだと思っていたから付いて来てしまったけど、迷惑をかけてしまったかもしれない。

「ね?ほら、葉物は早いでしょう?」

何段もの棚の中に、サラダや炒め物にするような野菜がぎっしりと並んでいた。
やっぱり水耕栽培が効率いいみたいだ。

「実をつけるものも最近は出来るようになってきたの。食べるにはもう少しかかるかな。」
「ここでヲルバの皆の分をまかなってるんですか?」
「まさか。いまはとっても人が増えてこれだけじゃ全然足りないよ。もうみんな慣れたけど、あの今一つ食欲の湧かないプリン達を狩り出して補ってるの。それにそっちも養殖の研究してるしね。あれ、コクーンのとちょっと違うから。」
「ああ、あれは確かに見慣れはしても……食べたいっていう欲望は湧きませんねぇ。」
「欲……。ぷッ…くくく。」

僕がそう言うと、セラさんは急に噴き出して笑った。

「やだ、もう。欲望なんて言うから色々想像しちゃったじゃない。」
「えっ……、色々って。」

想像した?何を?

僕はある事に思い至って赤面した。
もしかして。

「ちょ……、何を想像したんですかっ?」
「あはは、さあ?……くっくっくっ。」

下を向いてお腹を押さえて肩を震わせている。笑いが止まらないみたいだ。
僕はともかく姉のそういうところって想像して笑えるものだろうか。
僕が相手っていうのがやっぱり笑いどころなのか。

「あんまり笑ってると僕もお返しに想像しますよ。」
「ふ〜ん?くくっ…何を?」
「何って……。」

止せばよかった。
目の前の華奢な女の人と、あの巨漢のスノウがあんな風に……とか思ったら、そのあまりにどぎつい生々しさで呼吸困難に陥りそうになった。
この想像は笑えない。

「何でもないです……。」

セラさんは僕の顔を見ながら、ふふっと含みたっぷりの笑みをこぼした。
ああいう事にまるで興味なさそうな顔をして、そのくせ挑発的な態度をとるあたりやっぱり姉妹なんだな。
この人もライトさんみたいに……。
ふと、さっきの想像がまた頭の中に甦りそうになってあわてて打ち消した。

「そういえば、スノウの姿を全然見ませんね。」

あ、しまった。この人の前では呼び捨てにしない方が良かったかも。

「スノウはね、今ものすっっっごく忙しいの。」

なんだかそうらしい事は耳にはしているけど。

「何をやっててそんなに忙しいんですか?」

あのスノウが勤勉に仕事に励んでるっていうのが何だか違和感がある。
不真面目に見えるわけじゃないし、誰かの為に自分を犠牲にすることを厭わない性格なのは知っているけど。

「うーん、何って色々沢山」だよ。あ、これくらいでいいかな?葉っぱばっかりだけど。」
「ああ、充分です。葉物の方が今は貴重ですよ。」
「じゃ、戻ろっか。」

野菜工場を出て、来た道を戻る途中にマーキーさんがいた。
その後ろにユージュさん……?
じゃないな。全然違う。
手足が針金みたいに細い女の子だ。
近付くにつれ、その子が尋常じゃない、人間離れしているほどの美少女だということに気付いた。

ショートボブの栗色の髪。
小さな頭。
紫の大きな瞳。
白いミニスカートのワンピース。
材質のわからない、きらきら水みたいに光る服を着ている。
足元には、白い薄くて柔らかそうなソックスとゴールドのストラップの細いサンダル。
透き通るような白い肌。
まるで人形みたいだ。

おかしいな、確かに濃い青の……藍色の髪が見えたと思ったのに。
栗色と藍色じゃあ見間違えるわけないのに。

その子が僕に向かって笑って手を振ったので、思わず振り返した。
でも考えてみればヲルバに来ているのだから、僕に振ったんじゃなくてセラさんに振ったんだろう。

なんだか興奮した様子のマーキーさんが、凄い話があるからちょっと寄っていけと誘いをかけてきたけれど、丁重にお断りをした。
マーキーさんはいかにも残念そうな顔をこちらに向けた。
おそらくセラさんが居なかったらもっと強引に僕を連れ去ったろうけど、そこはさすがに遠慮したようだ。
今日はお遣いで来てるから寄り道してくわけにいかない。
そんなに重要な仕事じゃないけど。
あとで連絡することにしてマーキーさんとはそこで別れた。






「スノウはね、新政府や軍にノラの技術や傭兵を売り込んだり、武器の払い下げの交渉をしたり、それにほら……コクーンってまだ民間人って勝手に入れないでしょ?でもまだ使える物が沢山埋もれてるはずだから、それを発掘っていうか探索しに行けるように頼み込んでるみたい。」
「スノウってそういうこと出来るんですか?交渉とか売込みとか。」

あ、また呼び捨ての上に馬鹿にしたような発言をしてしまった。
そーっとセラさんの方を見ると、にっこり笑ってくれたが心なしか眉間にシワがよってた気がする。
気、気のせい気のせい。

「……本人も急に出来るようになったって言ってた。」
「え?」
「人の考えてることとか、どういう気持ちでいるかとかが良く分かるようになったんだって。」
「ええ?」

それは、ルシとして色々な経験をしたから……だろうか。
それとも……、『強いルシ』から急に普通の人間に戻ったことによる脳の変化だろうか。

「ああ、のど渇いちゃった。お茶くらい飲んでいけるでしょ?」
「あ、はい。」

脳の変化は、たぶんオーファンと戦った4人については間違いなく起きている。
生きてればそりゃあ変化していくものだけど、当人が明らかに変わったと自覚するケースはそうはない。
サッズさんやライトさんは、魔物や人、というか動く物の次の動作や移動先の位置などが以前より的確に予想できるようになったと言っていた。
ルシだった頃は自分達のスピードも速かったせいで意識しなかったけれど、その速さが再現できない今、相手の動きを予測してこちらの行動を決めるという対応にしたようだ。
それでもあの頃よりは落ちた力なんだろうけど。
だとしても今のライトさんはともかく、飛空艇の操縦をするサッズさんにとって鬼に金棒といった能力だ。
そういったことがスノウにもきっと起きてる。

「えーと、どこまで話したっけ?」
「人の気持ちが読めるようになったスノウ……さんの話までです。」
「いかにも取って付けたような『さん』ねぇ。もういいよ、べつに。」
「はは。すみません。」

「それでね、そんなこんなであちこち駆け回ってるんだけど、それでも毎日ファルシに挨拶に行ったり、新しい恋人の顔を見に行ったり。」
「は?いま何て?」

僕は自分の耳がどうかしたのかと思った。
ファルシに挨拶?
新しい恋人?
僕は寝てるのか?これは夢の中なのか?

「ん?ファルシに挨拶?」
「え、ええ……まあ。」
「……あの平原に店なんか建てて、よくやっていけるなぁ〜って思わなかった?」

セラさんは突然ぶっとんだ話を始めた。

「あれね、ノラで『大平原見学ツアー』っていうのを始めて、その休憩所として造ったの。」
「だいへいげんけんがくツアー?のん気にそんなのに申し込む客がいたんですか?」
「それがねえ、意外に当たったの。」

それは驚きだ。それもスノウの発案なんだろうか。

「ツアーって言っても観光ノリじゃなくてね、このパルスの大地で自活していこうっていう人達を集めてやったの。
お客さんにも武器を持ってもらって、ノラのメンバーで戦い方を指導したりしながらね。」

セラさんはお茶を口に運んで一息ついた。

「ほら、テージンタワーから長ーい坑道を通って平原に抜けると、大っきい魔物がけんかしてるじゃない?
あれでまずお客さんたちが、うわー凄いってなって、それを横目で見ながら崖の階段を上ると、また大平原の景色を見てうわーってなって、その話が広まって大繁盛ってわけ。」
「はあ……。」

それは凄いけど……なんの話なんだ?

「………途中にファルシが居るでしょ?」
「ええ。」
「近寄らないのが一番だけど、あのルート使えると便利だし……。でもみんな怖がるでしょ?
それでスノウがね、ファルシに向かって “もし、ルシが必要なら俺を使ってくれ” って。
“俺は一度使命をサクサク果たしてクリスタルになって、なおかつ元に戻った優秀なルシだ!だから次の使命も俺ならすぐに果たせる!”ってファルシにアピールしてるの。」
「でも……人間の言うことなんて聞くんでしょうか?言葉が通じるのかもわからないのに。」
「わかんないね。けど、スノウがそう言ってくれると、みんな安心するの。だから、わかんなくても毎日ファルシに会いに行ってるんだよ。」

スノウは強欲だ。
多情で欲張りだ。
そんなに誰も彼も1人で守れるわけない。
あっちこっちに手を伸ばしてたら、きっとどこかに穴が開くに決まってる。

それでも……。
それでもあいつは誰かに自分の身を捧げ、自分の愛情を注ぎ込みたいんだな……。

この人はあの男のそういうところを愛しているんだろうか。
自分だけのヒーローじゃないのに。
他の人間に為に駆けつけて、そこで命を落としてしまうかもしれないのに。

「もしスノウがまたルシになっちゃったら、あたしも一緒にルシにしてほしいな。それで今度はあたしもスノウと一緒に戦うんだ。」
「セラさんなら、きっと強いルシになるでしょうね。」
「ん?ねぇ、それどういう意味?いまのあたしも怖いってことかな?」
「え、いや深い意味は無いです!ただ、えっとほら、ライトさんの妹だし。」
「ふうん?」

それもあるけど、僕はニコニコ笑いながら『デス』を連発する可愛らしいルシを思い出していた。
この人もああいうタイプのような気がする。

「ねぇ……、お姉ちゃんちの傍に居るあれ、大丈夫なの?」

ウチの傍に?
ああ、タイタンか。
あれは―――――。




僕はたぶんこの時から、あの大きな存在に憑り付かれたのだと思う。